「ニトラム/nitram」ポート・アーサー事件を描く!障害は?ヘレンは実在した?父親、母親は?
ニトラム/nitram

障害のある男が起こした事件が何故起こったのか?を描いた実話映画

ニトラム/nitram

ニトラム/nitram
ニトラム/nitram

 

「ニトラム/nitram」(原題:Nitram)は、2021年のオーストラリア映画。

タスマニア島で起きたオーストラリア史上最悪の無差別銃乱射事件、ポート・アーサー事件の犯人マーティン・ブライアントにスポットをあて事件が何故起こったのか?をジャスティン・カーゼル監督が描いた作品。

 

 

あらすじ

1990年代半ばのオーストラリア、タスマニア島。観光しか主な産業のない閉鎖的なコミュニティで、母と父と暮らす青年。小さなころから周囲になじめず孤立し、同級生からは名前を逆さ読みした「NITRAM(ニトラム)」という蔑称で呼ばれ、バカにされてきた。何ひとつうまくいかず、思い通りにならない人生を送る彼は、サーフボードを買うために始めた芝刈りの訪問営業の仕事で、ヘレンという女性と出会い、恋に落ちる。しかし、ヘレンとの関係は悲劇的な結末を迎えてしまう。そのことをきっかけに、彼の孤独感や怒りは増大し、精神は大きく狂っていく。

 

 

タイトルの「ニトラム/nitram」は、犯人の名前「マーティン/Martin」を逆さに読んだもので、同級生からバカにしたあだ名として呼ばれていたものです。

このあだ名をマーティン・ブライアントは凄く嫌っていました。

興奮した異常な行動をしたりと、マーティン・ブライアントには何らかの障害があったようです。

しかし、会話はちゃんとできてるし知能にはそれほど問題が無い様子から、知的障害ではない‥しかし自閉症スペクトラム障害でもない…。

調べてみると‥。

境界性パーソナリティ障害があったようです。

 

境界性パーソナリティ障害の特徴

現実または妄想で、人に見捨てられることを強く恐れ、不安を抱いている。 対人関係の変動が激しく、コミュニケーションが安定しない。 気分や感情がめまぐるしく変わり、周囲の人々がついてこられない。 激しく怒り、傷つきやすい。

 

マーティン・ブライアントは逮捕され、精神鑑定を受けました。

それによると境界性パーソナリティ障害で、犯行時には28歳でしたが、知能は11歳児並みだったそうです。

しかし、事前に現場を下見していること(銃を入れていたバッグは、その時に施設内の売店で買っていた)、複数のライフルを用意していたことなどで計画的犯行とされ、また精神鑑定で責任能力ありと判断されて、仮釈放なしの35回の終身刑を宣告されています。(オーストラリアには死刑制度がありません)。

動機は今もはっきりわかっていないそうです。

マーティン・ブライアントは2002年2月未明に、刑務所内で自殺を試みるも未遂に終わり、現在も服役中です。

 

ポート・アーサー事件

「ニトラム/nitram」はポート・アーサー事件が何故起こったのか?にスポットをあて描いています。

ポートアーサー事件 (ポートアーサーじけん、The Port Arthur Massacre) とは、1996年4月28日にオーストラリア・タスマニア島の観光地、ポート・アーサーで起こった大量殺人事件です。

犯人はマーティン・ブライアントで、死者35人、負傷者15人を出したオーストラリア史上最悪の無差別銃乱射事件と呼ばれています。

 

ポートアーサー事件 マーティン・ブライアント
ポートアーサー事件
マーティン・ブライアント

 

1996年4月28日(日曜日)の午後1時半頃に、最初の事件現場となったカフェにマーティン・ブライアントが車に乗って訪れ、当初は外のテーブルに座ってランチを注文して食べていた。食事が終わると店の客に対し「白人ばっかりだ、ジャップは少ないな」と言うと、店内に入り黒いスポーツバッグからAR-15アサルトライフルを取り出して無差別に発砲。わずか90秒の間に20人の死者と12人の重軽傷者を出した。

すぐにブライアントはカフェの駐車場に向かって発砲し、観光バスの運転手や乗客を射殺。さらに別のライフルに持ち替え、自分の車を運転しながら通行人を次々に射殺。そして数百メートル離れたガソリンスタンドに到着するや、そこにいたカップルの女性を射殺し、相手の男性を車のトランクに押し込めて再び運転した。コテージに到着したブライアントは男性を車のトランクから引きずり出して車に火をつけた後、男性と共にコテージに立てこもった。

数百人の警察とマスコミ、野次馬がコテージを取り囲んでいたが、コテージのオーナー夫妻やガソリンスタンドから連れ出された男性の情報が掴めず、コードレスホンの電池切れでブライアントからの連絡はすぐに途絶えた。また、建物の周囲が遮蔽物のまったく無い広い芝生だったこと、コテージの主人が銃のコレクターで屋内には多数の武器があること、電波状態が悪くてスナイパーと指揮所の連絡ができなかったことなどの理由で特殊部隊の突入も見送られ、一夜が過ぎた。

事件の翌朝、コテージから出火するや、ブライアントが飛び出してきて、すぐに取り押さえられた。焼け跡から、オーナー夫妻、ガソリンスタンドから連れ出された男性の遺体が発見された。後にオーナー夫妻とブライアントが知り合いで、彼がカフェに向かう途中ですでに夫妻を射殺していたことが判明した。

 

参考ポートアーサー事件

ヘレンは実在した?

映画に中でマーティン・ブライアントと共に暮らすことになるヘレンは実在したのでしょうか?

調べてみましたが…。

ヘレンは実在していました。

 

映画で描かれていることは真実であるようです。

1987年マーティンが19歳の時に犬猫の世話のバイトで、54歳のヘレン・ハーベイさんに雇われます。

それから少しして二人は暮らすようになり、1992年ヘレン・ハーベイさんが、自動車事故で亡くなった後、当時25歳だったマーティン・ブライアントは、ヘレン・ハーベイさんの約57万ドルの財産を手に入れます。

自動車事故は映画ではマーティンが興奮してハンドルに悪戯をしたために起こった事故でしたが、それはどこにも書いてありませんでした。映画の脚色だと思われます。

 

マーティン・ブライアントは、1993 年以降、手に入れた財産の一部を使って世界中を何度も旅行しています。

1995年後半になると、ブライアントは「もう十分だ」と判断した後、自殺願望を抱きます。

彼は「私に敵対する人が増えたと感じた。私が彼らに対して友好的に接しようとしても、彼らはただ立ち去った」と述べたそうです。

以前は社交的な飲酒をする程度であったが、アルコール摂取量は増加し、虐殺当日はアルコールを一切摂取していなかったものの、その前の6か月間で特にアルコール摂取量が増加したそうです。

ブライアントによれば、ポートアーサーの計画は 4 ~ 12 週間前に最初に思いついたのではないかと考えていたという。

父親、母親は?

マーティン・ブライアントの父親母親も映画で描かれているのと同じ感じのようです。

ブライアントの父親は「シースケープ」というB&B物件を購入し息子と共に経営しようと考えていましたが、ノエレン(サリーとしても知られる)とデビッド・マーティンは、父親が資金を準備する前にこの物件を購入し、資金がようやく準備できたと、意気揚々と買いにいったブライアントの父親はショックを受け大いに失望しました。

マーティン家が購入を確保するために行った「二重取引」についてブライアントの父親は、パーマーズ・ルックアウト・ロードにある別の不動産をマーティン家から購入することを申し出たが、マーティン家はその申し出を断りました。

ブライアントの父親は息子によく不平を言っていたようです。

ブライアントは明らかに、マーティン夫妻が家族を傷つけるために意図的にその土地を購入したと信じており、この出来事が1993年の父親の自殺につながったうつ病の原因であると信じていたようです。

ブライアントは後にマーティン一家を「非常に意地悪な人々」であり、「私の人生で最も悪い人々」と評しています。

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