【ネタバレ】映画『マキシーン』の全てがわかる!犯人の正体からラストの意味、『X』『Pearl』三部作の繋がりまで完全解説
MaXXXine マキシーン

ネタバレ禁には、目次をお使いください('ω')

ついに完結した!A24の衝撃作ホラー3部作のラスト『MaXXXine マキシーン』

MaXXXine マキシーン
MaXXXine マキシーン

「結局、犯人は誰だったの?」
「『X』や『Pearl』との繋がりは?」
「あのラストシーンにはどんな意味が?」

本作を観終えたあなたが抱くであろう全ての疑問に、この記事が答えます。

 

『X エックス』(2022)、『Pearl パール』(2022)と続いてきた恐ろしい物語の最終章は、血とネオンにまみれた1980年代のハリウッドを舞台に野心的な主人公マキシーン・ミンクスの最終章として繰り広げられます。

本記事では、映画『MaXXXine マキシーン』のストーリー、衝撃的な犯人の正体、そして前2作から続くテーマと因縁がどのように決着するのか、核心的なネタバレを濃厚に解説していきます!

いごっそう612

鑑賞後の方、あるいは結末を知った上で鑑賞に臨みたい方のみ読み進めてほしいです。

この記事でわかること

  • 映画『マキシーン』のあらすじと結末(完全ネタバレ)
  • 衝撃的な連続殺人鬼の正体と動機
  • 前作『X』『Pearl』との重要な繋がり
  • 三部作全体を貫くテーマの深掘り考察
  • 国内外のリアルな評価・感想まとめ

映画『MaXXXine/マキシーン』の作品情報

原題 MaXXXine
公開日 日本:2024年11月28日 / 全米:2024年7月5日
制作国 アメリカ合衆国
監督・脚本 タイ・ウェスト
主演 ミア・ゴス
キャスト エリザベス・デビッキ、ケヴィン・ベーコン、リリー・コリンズ他
製作会社 A24
配給 A24
上映時間 104分

キャスト

ミア・ゴス:マキシーン・ミンクス

ケヴィン・ベーコン:ジョン・ラバト(私立探偵)

ジャンカルロ・エスポジート:テディ・ナイト(事務所社長)

エリザベス・デビッキ:エリザベス・ベンダー(映画監督)

モーゼス・サムニー:レオン(ビデオ屋の店長)

リリー・コリンズ:モリー・ベネット(女優)

ミシェル・モナハン:ウィリアムズ刑事

ボビー・カナヴェイル:トレス刑事

ホールジー:タビー・マーティン

ソフィー・サッチャー:FXアーティスト

予告動画

あらすじ:スターダムへの階段、忍び寄る過去の亡霊

物語の舞台は、『X』のテキサス大虐殺から6年後の1985年、ロサンゼルス。あの惨劇の唯一の生存者であるマキシーン・ミンクス(ミア・ゴス)は、ポルノ女優として一定の成功を収め、ついに本格的なハリウッド映画『ピューリタンII』の主演の座を射止める。

長年の夢であった"本物のスター"になるチャンスを目前にし、彼女の野心は燃え上がっていた。

しかし、当時のロサンゼルスは「ナイトストーカー」と呼ばれる連続殺人鬼の恐怖に脅かされていた。

そんな中、マキシーンの周辺でも、ハリウッドの若手女優たちが次々と惨殺される事件が発生。

現場には悪魔崇拝を思わせる不可解なシンボルが残されており、世間も警察もナイトストーカーの犯行だと考えていた。

順風満帆に見えたマキシーンのキャリアに、過去の亡霊が忍び寄る。

彼女の前に、6年前のテキサスでの事件の真相を知る私立探偵ジョン・ラバット(ケヴィン・ベーコン)が現れ、「雇い主に会え」と脅迫をかけてくる。

スターダムへの道を阻む障害を前に、マキシーンは自らの手で過去に決着をつけることを決意する。

核心ネタバレ:連続殺人鬼の正体と歪んだ家族の愛

多くの観客が「ナイトストーカーがマキシーンを狙う物語」だと予想しただろう。

しかし、ホラー界の鬼才・タイ・ウェスト監督が仕掛けた罠はもっと根深く、個人的なものでした。。

マキシーンを狙う連続殺人鬼の正体、それは彼女の実の父親であるテレビ伝道師、アーネスト・ミラーでした。

世間を騒がせるナイトストーカーの犯行は、あくまでカモフラージュ。

ミラーは自身の狂信的な信者たちと共に、ポルノ業界で働く娘を「悪魔に魂を売った堕落者」とみなし、彼女を"救済"するためにハリウッドにやってきたのです。

彼が殺害していたのは、マキシーンの周辺にいる「不浄な」女優たちであり、その目的はハリウッドの罪を暴くためのスナッフフィルムを撮影すること、そして最終的には娘を連れ戻し、「浄化」することにありました。

マキシーンは、自分を脅迫してきた私立探偵ラバットを罠にはめ、廃車置き場で車ごとプレス機にかけて惨殺。

過去の障害を力ずくで排除し、ラバットが残した住所へと向かいます。

そこで彼女が目にしたのは、バラバラにされた女優仲間の無残な死体と、悠然と待ち構える父親とその信者たちでした。

父親アーネスト・ミラーの歪んだ愛と偽善の象徴性

マキシーンの父親アーネスト・ミラーは、単なる狂信的な殺人鬼ではありません。彼は「アメリカの偽善」そのものを擬人化した存在です。

表向きはテレビを通じて神の愛と道徳を説くカリスマ伝道師。

しかしその裏では、自らの価値観に合わない者を「罪」と断定し、暴力で支配しようとする独善的な怪物です。

彼が娘マキシーンに向ける「救済」という言葉は、支配欲と歪んだ愛情の言い換えに過ぎません。

彼がスナッフフィルムを撮影していた行為は、「お前たちの楽しむハリウッドは、こんなにも汚れている」というメッセージを発信するためであり、それは娘への執着と同時に、自分が受け入れられないカルチャー全体への憎悪の表れでもあります。

『Pearl』でパールを追い詰めたのが「世間の常識」や「家族の期待」という見えざる抑圧だったのに対し、『MaXXXine』ではその抑圧が「父親」という具体的な姿となってマキシーンの前に立ちはだかります。

マキシーンが父親を殺す行為は、単なる反撃ではなく、自分を縛り付けてきた家父長制や偽善的な道徳観といったアメリカ社会の呪いを、自らの手で葬り去るという極めて象徴的な儀式だったのです。

クライマックス:ハリウッドサインの下での最終対決

物語のクライマックスは、ハリウッドの象徴である「HOLLYWOOD」サインの麓で繰り広げられます。

父親に捕らえられたマキシーンは、木に縛り付けられ、カメラの前で強制的な悪魔祓いの儀式を強行されます。

そこへ、事件を追っていた二人の刑事が突入し、壮絶な銃撃戦が勃発します。

刑事たちは殉職するものの、その混乱に乗じてマキシーンは自力で拘束を解き、ショットガンを手にする。

信者たちが倒れ、満身創痍となった父親とマキシーンの一騎打ちとなる。

頭上では警察のヘリコプターがサーチライトで二人を照らし出しマキシーンに銃を捨てるように言います。

その強烈な光を、マキシーンはまるで舞台のスポットライトのように浴びる。

その瞬間、彼女の脳裏に未来のビジョンが映し出される。

事件の英雄として喝采を浴び、映画のプレミアに出席し、自身の伝記映画が作られる輝かしい未来。

それこそが、彼女が渇望し続けた人生でした。

幻覚から覚めたマキシーンは、目の前の父親にこう言い放つ。

「あなたが必要なものをくれた。神の介入(Divine Intervention)よ」

そして、ためらうことなく父親の顔面にショットガンを撃ち込み、顔面を崩壊させ完全に沈黙させます。

彼女を縛り付けていた血縁と過去の呪いが、轟音と共に消し飛んだ瞬間でした。

結末:夢を掴んだマキシーンと三部作の終焉

事件から1ヶ月後。マキシーンは『ピューリタンII』の撮影現場に戻っている。彼女の周りにはもはや脅威は存在しません。

最後のシーンでは、映画のセットで監督と談笑する彼女の姿が映し出されます。

一連の惨劇すらも、彼女がスターになるための物語の一部であったかのように‥。

こうして、マキシーン・ミンクスの物語は幕を閉じるのです。

考察:マキシーンが手にしたのは真の栄光か、それとも新たな地獄か?

ラストシーン、マキシーンは全ての障害を排除し、念願だったハリウッドスターの座を手に入れます。

一見すると、これは彼女の執念がもたらした完全勝利のハッピーエンドに見えます。

しかし、本当にそうでしょうか?見方を変えれば、この結末は皮肉なバッドエンドとも解釈できます。

  • パールとの対比: 『Pearl』で夢破れ、農場という閉鎖的な世界で怪物となったパール。一方、マキシーンは夢を叶え、ハリウッドという煌びやかで巨大な世界のスターとなりました。しかし、その本質は同じかもしれません。彼女は自らのスターダムのためなら、殺人すら厭わない冷徹さを手に入れました。農場の怪物が、ハリウッドという名のより大きな檻に移っただけではないでしょうか。
  • スターという名の孤独: 彼女は過去を知る者を全て葬り去りました。もはや彼女の出自や本当の姿を知る人間はいません。手に入れた栄光の裏で、彼女は誰にも本心を明かせない永遠の孤独を背負うことになったのです。

クライマックスで彼女が見た「成功のビジョン」は、輝かしい未来の幻であると同時に、これから彼女が演じ続けなければならない「スター、マキシーン・ミンクス」という虚像の仮面を象徴していたのかもしれません。

血と引き換えに夢を掴んだ彼女の物語は、観る者にアメリカン・ドリームの光と、その影に潜む深い闇を同時に見せつけて終わるのです。

『X』『Pearl』との繋がりとテーマ

この三部作は、単なるスラッシャー映画ではない。「スターになりたい」という強烈な欲望を持つ二人の女性、パールとマキシーンの物語です。

  • 『Pearl パール』(1918年): 夢を追いかけるも、時代や環境に阻まれ、その欲望が歪んだ殺意へと変わっていく夢破れた者の物語。
  • 『X エックス』(1979年): スターになるためなら手段を選ばないマキシーンが、パールという「なれなかった自分」の亡霊と対峙し、生き残る物語。
  • 『MaXXXine マキシーン』(1985年): 過去のトラウマ(パールとの事件)と、自らの出自(狂信的な父親)という最大の呪いを断ち切り、どんな代償を払ってでも夢を掴む者の物語。

マキシーンは、パールが持ち得なかった「何があっても生き残る」という執念と、自分を肯定する強さを持っていた。

父親を殺害するという最終的な行為は、彼女が何者にも縛られず、自らの意志で人生をコントロールする存在=スターになったことの最終証明であったと言えるだろう。

血まみれの道を歩み、全てを乗り越えたマキシーン・ミンクス。

彼女は自らが望んだ通り、ハリウッドの星となりました。

その輝きが本物か虚構か、もはや誰にも判断はできません‥。

【深堀考察】『X』『Pearl』『MaXXXine』三部作の繋がりとテーマ:血で描かれたスターダムへの系譜

タイ・ウェスト監督とミア・ゴスが創造したこの三部作は、単なるホラー映画の連続ではありません。

これは20世紀のアメリカを舞台に、「スターになる」という一つの強烈な欲望が、時代や個人の中でいかにして生まれ、歪み、そして成就するのかを血濡れの系譜で描いた壮大な叙事詩です。

時系列に沿って、その深層を考察します。

1918年:『Pearl パール』 - 夢の原点と腐敗

Pearl パール
Pearl パール

すべての物語は、第一次世界大戦下のテキサスの人里離れた農場から始まります。

  • 時代背景と夢の誕生: 1918年、映画はまだサイレントで、人々にとってそれは現実から逃避するための「魔法」でした。スペイン風邪が蔓延し、夫は戦争へ赴き、厳格な母親と体の不自由な父親に縛り付けられたパールにとって、スクリーンの中の踊り子は唯一の希望であり、「ここではないどこか」へ連れて行ってくれる純粋な夢の象徴でした。彼女の「スターになりたい」という願いは、抑圧された環境から抜け出したいという、切実で無垢な叫びだったのです。
  • 挫折と狂気の開花: パールの悲劇は、その純粋な夢が外部の世界によって無慈悲に否定されたことにあります。教会のオーディションでの落選は、彼女が唯一信じていた「特別な自分」という自己認識を木っ端微塵に破壊しました。夢を拒絶された瞬間、彼女の内に秘められていたエネルギーは行き場を失い、自己防衛と障害排除のための暴力へと転化します。家族も、彼女の夢の邪魔をする「障害物」でしかなくなりました。 『Pearl』は、夢が挫折した時、その情熱がどう猛毒に変わり果てるかを描いた原点の物語です。ラストシーンの凍り付いた笑顔は、夢破れた人間の抜け殻が、社会に適応しようと必死に取り繕う狂気の仮面なのです。

1979年:『X エックス』 - 夢の継承者と過去の亡霊の対峙

x エックス
x エックス

『Pearl』から61年後、物語は同じテキサスの農場に戻ってきます。

  • 時代背景と夢の変質: 1970年代、映画はもはや純粋な魔法ではありません。特に、マキシーンたちが撮るポルノ映画は、夢を叶えるための即物的で生々しい「手段」です。彼女にとってスターダムは、現実的な野心であり、計算されたキャリアプランの一部でした。彼女が放つ「私は、私に相応しくない人生は送らない(I will not accept a life I do not deserve.)」という言葉は、パールの夢想的な憧れとは一線を画す、鉄の意志の現れです。
  • パールとマキシーン:コインの裏表 『X』の核心は、夢を叶えられなかった者(パール)と、まさに今、夢を叶えようとしている者(マキシーン)の血塗られた邂逅です。老いさらばえたパールは、若く、美しく、性的魅力を武器にスターへの道を突き進むマキシーンの中に、自分がなれなかった「完璧な自分」の姿を見ます。それは強烈な嫉妬と羨望、そして失われた若さへの渇望を掻き立てます。 パールがマキシーンたちを殺害するのは、単なる殺人衝動ではありません。それは「自分にできなかったことを成し遂げようとしている存在」への、過去からの呪詛なのです。
  • 過去の克服: マキシーンが生き残れたのは、彼女がただの被害者ではなかったからです。彼女は生き残るため、そして自らの夢を守るために、躊躇なく反撃し、殺します。クライマックスで、マキシーンがトラックでパールの頭を轢き潰すシーンは極めて象徴的です。これは文字通り、過去の亡霊(=夢破れた者の怨念)を物理的に破壊し、未来へ進むという決意表明なのです。

1985年:『MaXXXine マキシーン』 - 夢の成就と最後の審判

MaXXXine マキシーン
MaXXXine マキシーン

『X』の惨劇から6年後、舞台は夢の都ハリウッドへ。

  • 時代背景と夢の最終段階: 1980年代は、イメージがすべてを支配する虚飾の時代。マキシーンはポルノという過去を洗い流し、ホラー映画の主演という「本物」のスターの座を掴もうとしています。彼女はもはや単なる生存者ではなく、自らの過去すらも商品価値に変える術を心得た、したたかなプレイヤーです。
  • 最後の障害:自らの”原罪”との対決 マキシーンの前に立ちはだかる最後の敵は、パールのような「夢の亡霊」ではありませんでした。それは、彼女自身の出自であり、彼女を「罪深い存在」として断罪する実の父親でした。狂信的なテレビ伝道師である父は、彼女が逃れようとしてきた過去そのものであり、社会的な道徳や偽善の象徴です。 父親による「浄化」の儀式は、マキシーンという存在そのものを否定する最後の審判です。しかし、彼女はこれを神の裁きとは受け取りません。
  • トラウマの昇華とスターの誕生: クライマックスで、マキシーンは警察のヘリのサーチライトを**「スポットライト」として浴び、この惨劇すらも自らのスター伝説の一部として昇華させます。父親を自らの手で葬る行為は、自分を縛り付けていた血縁、道徳、過去という最後の呪いを完全に断ち切る儀式でした。 パールが夢を否定されて怪物になったのに対し、マキシーンはすべての障害とトラウマを自らの物語の燃料とし、乗り越えることで本物のスターとなった**のです。彼女はもはや何者にも定義されない、自らが創造主となった究極の存在へと変貌を遂げたのでした。

結論として、この三部作は「スター」という存在を巡る残酷な寓話です。パールは夢に殺され、マキシーンは夢のために過去を殺しました。その根底には、何者かになりたいという人間の根源的な渇望と、その渇望が時に人をどこまでも非情で、強く、そして孤独にさせるという、アメリカン・ドリームの光と闇が描かれているのです。

【追記考察】なぜ80年代だったのか?時代背景が物語るマキシ―ンの"業"

本作の舞台である1985年のロサンゼルスは、ただの時代設定ではありません。当時のカルチャーや社会不安そのものが、マキシーンを追い詰めるもう一人の「犯人」だったと言えます。

1. 現実の恐怖「ナイトストーカー」と「サタニックパニック」

劇中でマキシーンの事件のカモフラージュに使われた「ナイトストーカー」は、1984年から85年にかけて実際にロサンゼルスを震撼させた連続殺人鬼リチャード・ラミレスのことです。彼は悪魔崇拝者(サタニスト)を公言し、現場に五芒星を残すなどしたため、当時のアメリカ社会は「サタニックパニック」と呼ばれる悪魔崇拝へのヒステリックな恐怖に包まれました。

マキシーンの父親が狂信的なテレビ伝道師であり、娘を「悪魔に魂を売った」と断罪する姿は、まさにこの80年代特有の道徳的パニックを体現しています。映画は、現実のシリアルキラーの恐怖と、社会に蔓延する偽善的な恐怖という二重のプレッシャーをマキシーンに与え、彼女が乗り越えるべき「最後の障害」として描いているのです。

2. 「VHSの普及」が変えたハリウッドの光と影

80年代は、家庭用ビデオデッキ(VHS)が爆発的に普及した時代でもあります。これにより、人々は劇場に行かずとも自宅で映画、特にホラーやポルノといったジャンルを手軽に楽しめるようになりました。

マキシーンがポルノから一般映画への転身を目指すキャリアパスは、まさにこのVHSブームの恩恵と偏見を象徴しています。ビデオレンタル店の店員レオンが彼女の理解者として描かれる一方、父親や世間は彼女を「ビデオの中で観られる安っぽい存在」として断罪します。

彼女の戦いは、単に殺人鬼から逃げるだけでなく、ビデオという新しいメディアによって生まれたスターダムと、それに伴う汚名(スティグマ)との戦いでもあったのです。この時代の変化の波を乗りこなした者だけが、本当のスターになれる。その過酷な現実が、物語に深みを与えています。

『MaXXXine/マキシーン』に関するQ&A

Q1. 結局、犯人はナイトストーカー(リチャード・ラミレス)ではなかったの?

A1. はい、別人です。

劇中で起きる女優連続殺人事件の犯人はマキシーンの父親アーネスト・ミラーであり、世間を騒がせていたナイトストーカーの犯行に見せかけていました。ナイトストーカー本人も少しだけ登場しますが、物語の本筋には絡みません。

参考リチャード・ラミレス

Q2. 三部作はどの順番で観るのがおすすめ?

A2. 「公開順」である『X』→『Pearl』→『MaXXXine』が最もおすすめです。

時系列は逆になりますが、製作者が意図した謎や発見を楽しめます。もちろん「時系列順」の『Pearl』→『X』→『MaXXXine』で観ると、登場人物の歴史を追体験する面白さがあります。

Q3. 主演のミア・ゴスは『X』で一人二役だった?

A3. はい、その通りです。

『X』では主人公のマキシーンと、老婆のパールの一人二役を見事に演じ分けました。その強烈な演技が評価され、パールの若き日を描く前日譚『Pearl』が制作されるきっかけとなりました。

映画『MaXXXine マキシーン』の国内外の反応・評価まとめ

タイ・ウェスト監督によるスラッシャー三部作の完結編『MaXXXine マキシーン』。その評価は、前2作の強烈な個性と比べられることで、国内外で賛否両論を巻き起こしています。ここでは、批評家と観客の声を基に、

海外での評価:「ホラーからの転換」に賛否

批評家と一般観客の評価を数値で見ると、「良作ではあるものの、前2作ほどの衝撃はない」という見方が大勢を占めているようです。

  • Rotten Tomatoes: 批評家スコアは75%前後で"Fresh"(新鮮)を獲得。観客スコアはそれよりやや高い評価を得ており、ファンからの支持は堅いことが伺えます。
  • Metacritic: 批評家スコアは65点前後(一般的に好意的な評価)となっており、こちらも絶賛一色ではないものの、肯定的なレビューが多くを占めています。
  • IMDb: ユーザー評価は6点台後半で、前作『Pearl』や『X』よりは若干低いスコアに落ち着いています。

批評家・観客からの主な評価ポイント

【賛・評価されている点】

  • ミア・ゴスの圧倒的な存在感: 三部作を通じてパールとマキシーンを演じきったミア・ゴスのカリスマ的な演技は、本作でも絶賛されています。「彼女はこの役そのものである」「現代ホラーの最も偉大なアイコンの一人」といった称賛が相次いでいます。
  • 完璧な80年代の雰囲気: ネオンきらめくハリウッドの猥雑な空気、シンセサイザーが鳴り響く音楽、当時のファッションやカルチャーの再現度は極めて高く評価されており、「80年代へのラブレター」と評されています。
  • ジャンルの意図的な転換: 本作は『X』のスラッシャー、『Pearl』のサイコホラーとは異なり、イタリアのジャッロ映画やデ・パルマ作品を彷彿とさせる**「サスペンス・スリラー」**に舵を切っています。このジャンル横断的な試みを「野心的で面白い」「三部作の締めくくりとして知的」と評価する声が多く見られます。
  • 三部作のテーマの完結: 野心とスターダムを巡る物語に、マキシーンが過去と決別し夢を掴むという形で一つの決着をつけた点について、「満足のいく結末」「テーマ的に一貫している」と好意的に受け止められています。

【否・批判されている点】

  • ホラー要素の不足: 前2作のような強烈な恐怖やゴア描写を期待した観客からは、「怖くない」「ホラーとしては物足りない」という意見が目立ちます。サスペンスへの移行が、一部のホラーファンには肩透かしに感じられたようです。
  • ストーリーの陳腐さ: 犯人の動機や対決シーンが「ややありきたり」「B級映画のプロット」といった批判も一部で見られます。特に、前2作の độc創的な狂気と比較して、物語の展開が予測可能だったと感じる人もいました。
  • 脇役の扱いの軽さ: ケヴィン・ベーコンやリリー・コリンズといった豪華キャストが登場するものの、その役割が限定的で「もったいない」という感想も散見されます。

日本国内での反応:「スカッとする」か「物足りない」か

日本でも公開直後から映画ファンを中心に大きな話題となり、Filmarks、映画.comなどのレビューサイトでは高評価が多数を占めています。

しかし、その評価の内訳は海外同様、様々な視点から語られています

国内の観客からの主な反応

【ポジティブな感想】

  • マキシーンのキャラクターへの共感: どんな困難にも屈せず、自らの手で未来を切り開くマキシーンの姿に「かっこいい」「応援したくなる」「爽快感がある」といった声が非常に多く上がっています。彼女のサバイバルストーリーとして楽しんだ観客が多数派です。
  • 80年代映画へのオマージュ: 『サイコ』のベイツ・モーテルが登場するなど、往年の名作映画へのオマージュが散りばめられており、映画ファンからは「愛が感じられる」「観ていて楽しい」と好評です。
  • 三部作の完結編として満足: 『X』『Pearl』と追いかけてきたファンからは、「綺麗に完結した」「マキシーンの物語として納得の結末」と、シリーズ全体の着地点を評価する声が多く聞かれます。

【ネガティブ/複雑な感想】

  • 前2作ほどのインパクトはない: やはり「『X』の衝撃や『Pearl』の狂気には及ばない」「もっと過激な展開を期待していた」という意見は少なくありません。特に、本作から観た人よりも、シリーズファンの方が前作との比較から物足りなさを感じやすい傾向にあります。
  • ジャンル変更への戸惑い: 「ホラーだと思って観たらサスペンスだった」という声や、「敵が弱すぎる」「緊張感が足りない」といった、ホラー描写の不足を指摘する感想も見られます。
  • 三部作で一番好き/一番微妙: 評価が大きく分かれているのも特徴で、「一番観やすくて好き」「メッセージ性が明確で良い」という層と、「一番普通でパンチがなかった」という層の両方が存在します。

総括

『MaXXXine マキシーン』は、三部作の完結編として、ホラーというジャンルの枠組みから意図的に脱却し、主人公マキシーンのキャラクターアークを完成させることに主眼を置いた作品と言えます。

その結果、ミア・ゴスの魅力と80年代の雰囲気を楽しむ「キャラクター中心のサスペンス・スリラー」としては高く評価されています。一方で、前2作が打ち立てた強烈なホラー体験を期待する層からは、そのジャンルシフトが物足りなさとして映る、という賛否両論の構図を生み出しました。

しかし、シリーズ全体を通して「スターダムへの渇望」という一貫したテーマを描ききった手腕は確かであり、多くの観客にとって満足度の高い「有終の美」を飾った作品であることは間違いないでしょう。

筆者の感想:三部作で一番好きなのは?

さて、ここまで徹底的に解説してきましたが、最後に少しだけ個人的な感想を。『X』『Pearl』『MaXXXine』と続いた三部作、私個人としては、やはり最初の衝撃が忘れられない『X エックス』が最も印象深い作品でした。

 

いごっそう612

あのジメジメした空気感、予測不能な恐怖、そしてマキシーンとパールの対峙は、ホラー映画史に残る名シーンだと思います。皆さんは、どの作品が一番好きでしたか?

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