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カンヌ国際映画祭で絶賛と同時に「観客が卒倒した」と報じられるほどの悲鳴を浴び、デミ・ムーアの完全復活とまで称された衝撃作『サブスタンス (The Substance)』。

「美しさ」を渇望する一人の女性の物語が、なぜこれほどまでに観客を震撼させたのか?
結論から言えば、本作は「想像を絶する」レベルのボディホラーです。生半可な覚悟で観ると、確実にトラウマを負います。
そして本作は、デミ・ムーアとマーガレット・クアリーという二人の女優が、文字通り「一身同体」となって見せた、壮絶な演技合戦の記録でもあります。
「完璧な自分になれる」という魅惑的な製品「サブスタンス」…。
観終わった今、多くの人が「あの製品の正体は何だったのか?」「なぜ二人は対立したのか?」そして「あの凄惨すぎるラスト結末の意味は?」と、呆然と疑問を抱えているはずです。
本記事では、映画『サブスタンス』の重大なネタバレを全開で解説します。
核心的なあらすじ(起承転結)
製品「サブスタンス」の恐ろしいルール
エリザベスとスー、二人の「自分」の対立の理由
衝撃的なラスト結末の意味と、作品テーマの考察
これらを、鑑賞後の興奮と(正直な)嫌悪感、そして胸を締め付けられるような悲しみも交えつつ、徹底的に解き明かします。
※警告※ 本記事は、映画『サブスタンス』の重大なネタバレを全面的に含みます。
本作は日本国内ではR15+指定ですが、その内容は多くの観客が「R18+以上」と感じるほど過激です。
単なる流血や暴力ではなく、肉体が崩壊・変異していく過程を執拗に描き切っており、観る者に物理的な痛みや強烈な不快感を与えます。
鑑賞前の方、グロテスクな描写が極端に苦手な方、特に食事前後の方は、この先へ進まないよう絶対に、十分にご注意ください(気持ち悪くなってしまうかも)。
映画『サブスタンス (The Substance)』作品情報
原題 The Substance
監督・脚本 コラリー・ファルジャ (Coralie Fargeat)
製作国 フランス、イギリス、アメリカ合衆国
公開年 2024年(日本公開は2025年5月16日など)
上映時間 142分
映倫区分 R-15(日本)
主要キャストと役名
エリザベス (Elisabeth)/ デミ・ムーア (Demi Moore)
50歳の元人気女優で主人公。「サブスタンス」に手を出す。
スー (Sue)/マーガレット・クアリー (Margaret Qualley)
「サブスタンス」によって生まれたエリザベスの「完璧な」分身。エリザベスの知性を持ちながら、若さと美貌、そして圧倒的なカリスマを備える。当初は無邪気だが、次第にオリジナルを凌駕する冷酷さと傲慢さを剥き出しにしていく。
ハーヴェイ (Harvey)/デニス・クエイド (Dennis Quaid)
主人公である元人気女優エリザベス(デミ・ムーア)がレギュラー出演しているテレビ番組のプロデューサー
ディエゴ/ウーゴ・ディエゴ・ガルシア
フレッド/エドワード・ハミルトン=クラーク
オリバー/ゴア・エイブラムス
予告動画
【最重要】『サブスタンス』の核心的な「ギミック」
まず、物語の根幹である「サブスタンス」とは何だったのか。その恐ろしいルールを解説します。
「サブスタンス」とは何か? 3ステップのプロセス
「サブスタンス」とは、闇で販売されている製品で、使用者に「より良い(Better)」バージョンの自分自身を生成させるものです。
使用方法は3つの液体(A液、B液、C液)を使ったシンプルな3ステップです。
【起動 (Activate)】A液:粉末を水に溶かして飲み、脊髄に装置を接続して起動液を注入する。
【鏡像 (Mirror)】B液:起動すると、元の身体(オリジナル)から「もう一人の自分(スー)」が生まれる。この新しい身体は、使用者の理想が反映された、若く完璧な姿をしている。
【安定 (Stabilize)】C液:オリジナル(エリザベス)と鏡像(スー)は、定期的に(数時間おきに)C液の「安定剤」を共有しなければならない。オリジナルから抽出した体液を、鏡像に注入することでバランスが保たれる。
破滅のルール:「鏡像はオリジナルを超えてはならない」
最も重要なルールは、「鏡像(スー)が活動する時間は、オリジナル(エリザベス)の活動時間よりも短くしなければならない」というものです。
つまり、スーとしての時間が長く、エリザベスとしての時間が短くなると、システム全体のバランスが崩壊します。
このルールを破った時、オリジナル(エリザベス)の身体は急速に老化・腐敗し、その影響は完璧だったはずの鏡像(スー)にも及び始めます。
『サブスタンス』は、この「バランスのルール」を破ったことから、破滅的なボディホラーへと突き進んでいくのです。
【ネタバレ】映画『サブスタンス』あらすじ完全版(起承転結)
起:転落する大女優、エリザベス・スパークル

かつてハリウッドの頂点に立ち、オスカー像を手にした大女優エリザベス・スパークル(デミ・ムーア)。
今は、人気フィットネス番組「スパークル・ユア・デイ」のホストとして長年活躍していた。
しかし、50歳の誕生日を迎えた日、彼女はプロデューサーのハーヴェイ(デニス・クエイド)から無情にも番組の降板(クビ)を告げられる。
理由は、単に「年を取りすぎた」から…。
絶望の淵に立たされたエリザベス。ある日、トイレで「サブスタンス」の広告を見つける。
「もう一人のあなた、より良いあなたへ」という甘い言葉に誘われ、彼女はその禁断の製品に手を出してしまう。
電話で指定された廃ビルにて「サブスタンス」を持ち帰り、自宅のバスルームで説明書通りにサブスタンスを使用すると、苦痛と共に、彼女の背中から「何か」が生まれ出る。
それは、若く、美しく、完璧な肉体を持つ「スー」(マーガレット・クアリー)だった。
若さと美貌、エリザベスとしての知識を備えたスーはエリザベスの上位互換的な存在となる。
スーはやがて名声を得て、ハーヴェイから大晦日番組の司会に抜擢される。スーは名声によって、快楽的な生活を過ごす中でエリザベスは自信を持ち始めたが、引きこもるようになる。
エリザベスとスーは1週間毎に身体を交換しなければならず、老化を防ぐためにエリザベスの脊椎から抽出された安定液を注射し続けなればならなかった。
承:完璧な「スー」の誕生と成功

エリザベスは「スー」として生きることを決意する。
彼女はスーの姿でハーヴェイの元を訪れ、新しい番組ホストのオーディションを受ける。
ハーヴェイはスーの若さと美貌に即座に魅了され、彼女を新ホストに抜擢する。
スーがホストとなった番組は大成功。
スーはエリザベスが夢見た以上の名声を手に入れ、世間の寵児となる。
エリザベスは、スーとしての完璧な人生に酔いしれる。
スーの活動時間を延ばすため、オリジナルである自分(エリザベス)の存在は、アパートの一室に隠され、安定剤を供給するためだけに存在するようになる。
エリザベスとスーは互いに別々の人間として見るようになり、軽蔑し始める。
スーはエリザベスの自己嫌悪と過食生活を毛嫌いするようになり、1週間毎の身体の交換を拒むようになる。
転:破られたルールと「二人の自分」の対立

エリザベスは「スーの活動時間はオリジナルより短くする」という絶対のルールを破り続ける。
その結果、エリザベスの身体は急速に老化し、髪は抜け落ち、皮膚はただれ、見るも無残な姿へと腐敗していく。
ついには安定液をとれるだけエリザベスから取り出し活動時間を長くし続けた。
3ヶ月後、大晦日番組前日にスーは安定液が供給できなくなった。
スーはサブスタンスの業者に連絡したが、安定液を補充するためにエリザベスとの身体の交換が必要であると伝えられる。
エリザベスに戻ったものの、その姿は猫背の老婆と化していた。
こんなのは嫌だと、ついに身体の交換を止めようと思ったエリザベスは、分身であるスーを死滅するための血清を注射しようとしたが、思いとどまり若さを保つために再びエリザベスはスーを目覚めさせた。
結:エリザベスの殺害、そして最悪の授賞式

自身を殺害しようとしたことを知り激昂したスーは、オリジナルであるエリザベスを撲殺してしまう。
大晦日。スーは年間最優秀賞を受賞するため、授賞式の特番(生放送)に向かう。
しかし、オリジナルの死によってバランスは完全に崩壊。スーの身体は楽屋で急速に衰弱し始め、歯は抜け落ち、耳も取れてしまう。
錯乱状態に陥ったスーは、完璧な肉体を取り戻そうと、残っていた**「サブスタンス」の液体(起動液A)**を自らに無謀にも直接注入する。
その結果、スーの肉体は制御不能な変異を起こし、無数の臓器やエリザベスの顔が貼り付いた**怪物「モンストロ・エリサスー」**へと変貌してしまう。
エリサスーは、エリザベスのポスターから切り取った仮初めの「顔(マスク)」を被り、生放送中のスタジオに乱入。その醜悪な姿に観客は絶句し、スタジオは混乱に陥る。
スタジオの関係者がエリサスーの頭部を切断するも、変異は止まらず、頭部や腕がさらに分裂・増殖し、スタジオ一帯を血飛沫で染め上げる惨劇となる。
エリサスーはスタジオから逃げ出すが、止まらない細胞崩壊に肉体が耐えきれず、路上で完全に破裂・崩壊する。
崩れ落ちた肉片の一部からエリザベスの顔が浮き出て、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにある自分の名前が刻まれた「星」の上に、最後の力で這い上がる。
エリザベスの顔は、周囲の観衆(幻覚)から称賛を浴びる中、満足げに微笑みながら血痕と化し、完全に事切れた。
ラストシーン
すべてが終わった後。夜明けのハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム。そこにはエリザベス・スパークルの名前が刻まれた星がある。 清掃員が、昨夜の惨劇で飛び散ったエリザベス(怪物)の血痕を、ホースの水で無感情に洗い流していく。星は綺麗になるが、その名前を気にする者は誰もいない。 映画は、虚しく輝きを取り戻した星を映し出して、幕を閉じる。
【考察】衝撃のラスト結末と「美しさ」という呪い
このあまりにも救いのないラストは、何を意味していたのでしょうか。
ラストシーンは「怪物」の死と「ハリウッドの星」
ラストシーンで「怪物」と化したのは、エリザベスでもスーでもなく、両者が融合した存在でした。これは、「美しさ」を渇望したエリザベスの欲望と、その結果生まれた「美しさ」の化身であるスーが、どちらも破滅したことを意味します。
彼女(たち)は、自分を「年寄り」と切り捨てたハーヴェイに、一矢報いることはできました。
しかし、結局は「見世物」として(=テレビカメラの前で)消費され死んでいきます。
そして、彼女がかつて手に入れた栄光の象徴である「ハリウッドの星」。
その星についた彼女の血痕(=彼女の存在そのもの)は、まるでゴミのようにあっさりと洗い流されてしまうのです。
これは、「美しさ」や「若さ」を失った女性は、この世界(特にハリウッドというシステム)において存在価値がなく、その死さえもすぐに忘れ去られるという、残酷すぎる現実を突きつけています…怖いですね。
『サブスタンス』が描いた「美しさ」という呪い
本作は、単なるボディホラーではありません。これは、現代社会、特に女性にかけられた「若く、美しくなければ価値がない」という強烈な呪い(ミソジニー)についての物語です。
エリザベスは、スーを生み出した当初、二人の自分でバランスを取ろうとしていました。
しかし、社会が「スー」だけを求め、「エリザベス」を不要なものとして扱うため、彼女自身も「エリザベス」を憎むようになります。
スーがエリザベスを殺害したのは、「社会の価値観に染まったエリザベス自身が、老いた自分を殺した」とも解釈できます。
結局、彼女は「美しさ」というサブスタンス(=実体、麻薬)に溺れ、自分自身を完全に破壊してしまったのです。
【感想・評価】最高のボディホラーか、最悪のトラウマ映画か
鑑賞後の第一声は「とんでもないものを観てしまった…」でした。 (正直、噂には聞いていましたが、想像の遥か上を行くグロテスク描写にマジでビビりました…)。
正直、ここまで胸糞悪く、同時に悲痛なボディホラーはデヴィッド・クローネンバーグ監督の『ザ・フライ』以来かもしれません。
評価:傑作だが、絶対に人を選ぶ
単なる映画としての評価は「傑作」です。しかし、万人に勧められるかと問われれば、即座に「NO」と答えます。
〇 評価できる点
- デミ・ムーアとマーガレット・クアリー、「二人一役」の怪演: 本作の成功は、この二人の女優なしにはあり得ません。デミ・ムーアは、老いへの恐怖、スーへの嫉妬、そして惨めに崩壊していく自己嫌悪を、まさにキャリアのすべてを賭けて曝け出しました。特殊メイクの凄まじさもありますが、それ以上に、すべてを失う絶望を瞳だけで表現する演技は、観ていて胸が張り裂けそうになります。対するマーガレット・クアリーがまた圧巻です。
彼女は「完璧なスー」の輝くばかりの魅力と、オリジナル(エリザベス)を汚物のように見下すようになる冷酷な傲慢さ、そして自らも崩壊していく終盤のパニックを、ダンスで培った抜群の身体表現能力で完璧に演じ分けました。この「老いた自分(デミ)」と「理想の自分(マーガレット)」が互いを憎み、殺し合うという構造こそが本作の核心であり、二人の演技が「同一人物」として見事にシンクロしているからこそ、この物語は単なるホラーを超えた悲劇として成立しています。 - テーマの鋭さと監督の手腕: 「美の呪い」というテーマを、一切の妥協なく、物理的な「肉体の崩壊」として描いたコラリー・ファルジャ監督の手腕は凄まじいの一言です。特に女性監督がこの題材を(男性的な視線ではなく)当事者としての痛みと皮肉を込めて描いた点に、本作の最大の価値があります。
- 容赦のない描写: 終盤のグロテスク描写は、目を背けたくなるほどの過剰さですが、それこそが本作のテーマを訴えかけるために必要な「痛み」でした。
✕ 人を選ぶ点(=覚悟が必要な点)
- 想像の10倍グロい「肉体崩壊」の執拗さ: これが最大の関門です。本作のグロさは血飛沫(スプラッター)ではありません。『ザ・フライ』が霞むほどの、肉体が「失敗」し、腐り、裂け、原型を失っていくプロセスそのものを、一切の遠慮なく直視させます。終盤の凄惨なシークエンスは、テーマ性を理解する以前に、生理的な嫌悪感で思考が停止するほどの破壊力があります。 (筆者もホラー映画はかなり見慣れている方ですが、これは久々に「うわっ…」と声が出たレベルです) これを「やりすぎ」と感じるか、「テーマに必要」と感じるかで、評価は真っ二つに割れるでしょう。
- 救いのなさ: 物語に一切の救いがありません。希望を求める人にとっては、ただただ不快で最悪な「胸糞映画」として記憶されるはずです。
結論:観る者の「価値観」を破壊する、痛烈な悲劇
『サブスタンス』は、エリザベスという一人の女性が、社会(あるいは自分自身)の価値観によって「怪物」にされてしまうまでの悲劇です。
スーを生み出したのはエリザベスですが、彼女を殺したのはハーヴェイであり、スー(若さ)だけを賞賛した観客であり、そして私たち自身に刷り込まれた「美しさこそが正義」という価値観そのものです。
単体作品としての満足度は、観客が「何を求めるか」で180度変わります。
エンタメとしての快楽を求めるなら、これは最悪の映画です。
しかし、社会への痛烈な皮肉や、目を背けたい現実を突きつける芸術性を求めるなら、これ以上の傑作はありません。
私は、デミ・ムーアが最後に流した(であろう)血の涙を、生涯忘れることはないでしょう。
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